41st BMW BERLIN MARATHON on 28 September 2014

ヒストリー

ベルリンマラソンの歴史は、路上マラソン の歴史そのものだ。、ベルリンマラソンは、 1974 年 10 月 13 日、、主催クラブである SC ベルリン・シャルロッテンブルクのグランドのすぐ横を通る細道を会場に、 286 人参加者から始まった。初回の優勝者は男性がギュンター・ハラス( 2 : 44 : 53 )と女性がユタ・フォン・ハーゼ( 3 : 22 : 01 )。両者ともベルリン出身だった。なお、ギュンター・ハラスは今日もなおベルリンマラソンに参加、健脚を誇っている。

第一回マラソンのスタート風景(1974年10月13日)

1980 年までは、マラソンコースはベルリン西部の森、グリューネヴァルトを走っていた。この時期の最多参加者数は1976 年の397 人。しかしこの初期の時点で、ベルリンマラソンはすでに世界記録を出し始めた。1977 年にはドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)のマラソン・チャンピオンが初めてベルリンマラソンに参加し、女性優勝者のクリスタ・ファーレンジークが世界新 記録2 時間34 分47 秒5 を打ち立てた。また同年には男性優勝者、英国のノルマン・ウィルソンも2 時間16 分20 秒7の優れたタイムを出した。

1981年9月27日は主催クラブSCシャルロッテンブルクにとって、記念すべき日である。というの も、警察との長年にわたる困難な交渉を乗り越えて、ベルリンマラソンはこの日初めて(当時の)西ベルリン市内の大通りをコースとして使用できたからだ。マ ラソンのスタートとゴールはクーダム(ベルリン最大のショッピング通り)に設けられた。クーダムでの最初の優勝者は、男性が英国のイアン・レイ (2:15:41.8)、女性がドイツ・カッセル市出身のアンゲリカ・シュテファン(2:47:23.5.)だった。この年の参加者は30カ国から 3,486人にのぼった。ベルリンマラソンの競技としての質も1981年以降、年ごとに向上し、参加者も急増の一途をたどった。1985年には、ついに参加者人数が1万人に達したのだった。

1990 年 9 月 30 日は、多くのドイツ人の夢が現実となった日だ。東西ドイツ統一の日の 3 日前、東西分断の間通行封鎖されていたブランデンブルク門を 2 万 5 千人の走者が走り抜けた。それぞれの目に感激の涙を浮かべながら。この日はまた、ベルリンマラソンのコースが世界で最速のコースであるとの名声を不動のも のとする日でもあった。オーストラリアのスティーヴ・モネゲッティが 2 時間 8 分 16 秒でゴールインし、この年の世界記録を出したのだ。女性の部ではドイツのウタ・ピッピヒが故郷に錦を飾った。 .1995 年にはケニアのサミー・レレイ が目覚しい記録を打ち出した。彼のタイム 2:07:02 は当時、 1988 年に出された世界記録には 12 秒届かなかったものの史上 2 番目の記録であり、過去 7 年では一番速いものであった。

1998年の第25回ベルリンマラソンにはそれまで最多の2万7621人が参加した。この25周年と いう記念すべき年は、また輝かしい世界記録の更新によって飾られた。この年の優勝者であるロナルド・ダ・コスタが会心の走りをみせ、2時間6分05秒を記 録したのだ。なお彼は平均時速20キロメートルで走りきった史上初のランナーでもあった。一年後、ベルリンで、更なる世界記録が更新された。その時の主役 はケニア出身の女性、テグラ・ロロープ。彼女のタイムは2時間20分43秒だった。この年の男性勝者で同じくケニア出身のショセファット・キプロノのタイ ム、2時間6分44秒もまた世界一流レベルのものだった。

2001年には日本のスーパースター、高橋尚子がベルリンマラソンに出場した。オリンピック金メダル 獲得の目的を達成した後、最初の女性として2時間20分以内で走ることを目標としていた彼女は、ついに彼女はベルリンでその目的をも達成したのだ。高橋選 手は2時間19分46秒でゴールを走り抜けた。この年は「9月11日」の出来事のあと、マラソン大会は政治的な意味合いも含んでいた。マラソン選手はス タートの前に皆で垂れ幕を掲げた。そこには「United We Run」との文字が書かれ、ベルリンマラソンとニューヨーク・シティー・マラソンのロゴが描かれていた。一年後に高橋尚子選手はまたベルリンに戻ってき た。このマラソンは、怪我や故障に悩まされた後の最初のマラソンであったが、彼女はこの年もまた2時間21分49秒で快走し、再度女性優勝者となった。男 性の部ではケニアのイモンド・キプコエヒが優勝した。

2003年に開かれたベルリンマラソン30周年大会では、ケニアのパウル・テルガット選手がセンセー ショナルな世界新記録で話題をよんだ。彼はこの大会で、公式大会において2時間5分を切った最初の選手となった。彼のタイムは2時間4分55秒。さらに驚 異的だったのは、彼の同僚サミー・コリルがテルガットに僅差でゴールインしたことだった。彼のタイムはわずか2秒遅れ。さらにもう一人のケニア選手、ティ トゥス・ムンジもテルガットとコリルに続き、2時間6分15秒の三位でゴールイン。この連続記録だけでなく、計6時間16分6秒というケニアチームの合計 記録もまた世界マラソン史上初のものであった。この年ベルリンではさらに、1993年ニューヨークマラソンの優勝者であるメキシコ出身のアンドレス・エス ピノサが男子・マスターの部初の2時間10分以内でゴールし、この部での世界記録を更新した。。彼のタイムは2時間8分48秒だった。この年の女性優勝者 は2時間26分32秒で走った、日本の橋本泰子選手だった。

     この次の2年間は日本女性がまた注目の的となった。2004年には渋井陽子選手が2時間19分41秒で完走、コース記録を更新した。2005年にはオリンピック金メダリストの野口みずき選手が2時間19分12秒という記録を出した。これはまたアジア新記録でもあった。こうしてベルリンマラソンは世界最良のロードレースという名声をゆるぎないものとしたのだ。

2006年には3万9636人が大会に参加し、ベルリンマラソンが市民参加の大型マラソンという面で も世界レベルに達する大会となった。エチオピアのハイレ・ギブレセラシは気温の高さにもかかわらず、2時間5分06分でゴールインし、33回大会の話題を 呼んだ。このタイムは2006年の世界ベスト、今日でも史上7番目と記録されている。15分後には同じくエチオピアの女性走者ガテ・ワミが2時間21分 34秒でゴール、この大会をエチオピア・コンビの年としたのだった。

2007年大会で話題を集めたのは、なんといっても伝説的な世界記録をうちたてたエチオピアのスーパー スター、ハイレ・ゲブレセラシエ。ゲブレセラシエの世界記録への二度目の挑戦は、フラットでスピーディーなコースとして知られるベルリンで行われた。彼の レースは一昨年よりも順調に進み、結果、ポール・テルガットのもつ記録より29秒も早い2時間4分26秒というタイムでゴールインした。女性の部優勝者は 同じくエチオピア出身のゲテ・ワミ(2時間23分17秒)。彼女はベルリンでの優勝によって、第一回ワールドマラソンメジャーズチャンピオン(WMM)と なる期待が高まった。そしてその後ニューヨークでも優勝を重ねたワミは、06/07年度WMMチャンピオンの王冠を手にし、賞金として50万ドルを獲得し た。第34回リアル・ベルリンマラソンの参加者は32638人を記録し、これまた過去最高であった。

2008年大会、Haile Gebrselassie(ハイレ・ゲブラセラシエ)は、前年度の自己の世界新記録をさらに更新する事だけでなく、
その新たな記録が世界中の誰にも届く事の出来ない現在の記録を大幅に上回るタイムを出すことを強く意識していた。 快晴、風もなく、気温も14℃~18℃というマラソンには絶好の天候に恵まれ、チャンピオンも順調にペースをキープ(中間タイム62:04)し、そのチャ ンピオンのペースに劣る事なく誰もが予想しなかった素晴らしい走りを見せたノーマークだったケニア出身
James Kwanbai(ジェームス・クワンバイ)は、チャンピオンと共に、熱いレースをより一層盛り上げ、完璧なレース展開を繰り広げた。そしてHaile Gebrselassie(ハイレ・ゲブラセラシエ)
は、2:03:59の2時間3分台と言う、この大きな1秒の壁を破る驚異的な世界新記録を再び打ち出した。 女子の部では、自身の初のベルリンマラソン(2007年)
で2位フィニッシュであったドイツ出身、Irina Mikitenko(イリナ・ミキテンコ)が、春のロンドンマラソン優勝に続き、2度目のベルリンマラソンで2:19:19のナショナルレコード(国内新 記録)を記録し本大会初優勝を挙げた。その数週間後、Irina Mikitenko(イリナ・ミキテンコ)はThe World Majors woman’s competitionから表彰され賞金US500,000ドルを授与される。 3万5783人のマラソン完走者により、real,-BERLIN MARATHON2008は世界第2位の規模を誇るマラソンイベントである事が世界に証明された。

2009Haile Gebrselassie(ハイレ・ゲブアセラシエ)は、2009年に4度目のベルリンを走った。ドイツの首都、世界最速といわれるベルリンマラソンの コースを、三度目の自らの世界新記録更新を狙って走った。しかし、2009年は、過去二年の二度の世界記録が出た時のような天候には恵まれなかった。前年 度2008年の世界記録2:03:59を破るが如く、37km地点までなんとかそのペースを保つものの、その後失速。27度にも上昇した気温はマラソンラ ンナーには過酷な設定であった。それでもハイレは、30kmを
1:27:49のラップライムで通過し、この時点では三度目の自らの世界新記録 の 可能性をまだ残していた。しかし、マラソンの記録として素晴らしいタイムではあるものの、2:06:08 と、結果はそこには及ばなかった。ただ、彼の強さは誰にも否定できない。彼の四度のベルリンマラソンでの平均タイム、2:05:08ですら、他のどのラン ナーも達成出来ていないのである。
女子の部では、エチオピアの Atsede Habtamu
Besuye(アツェデ・ハブタム・ベスイェ)が、自己ベストの2:24:47で優勝を果たした。 40,923名の参加者のうち、35,035名が完走を遂げた。

2010ベルリンマラソンの第37回大会において、前代未聞の悪天候にも関わらず、Patrick Makauはワールドクラスの素晴らしいタイムで優勝した。スタート時には12度という気温と、止む気配もなく降り続く雨の中をこのケニア出身の選手は果 敢に走り、ブランデンブルグ門を抜け2時間05分08秒と言うタイムでゴールした。この記録は世界11番、ベルリンでは5番目の記録だ。

そしてこの年、一番速かった女性ランナーは、パーソナルベストタイムの2時間23分58秒でゴールしたエチオピアのAberu Kebede(アベル・ケべデ)だ。21歳のKebedeの後に、Bezunesh Bekele (2:24:58)と 森本友(2:26:10)が続いた。

第37回ベルリンマラソンは122カ国から40,945人が参加、約70万人の観衆で42.195キロのコースは埋め尽くされた。

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